浦野 さとみ(うらの 智美)
生まれ
1980年 千葉県松戸市生まれ
学歴
千葉県立国分高等学校卒
千葉医療福祉専門学校卒
経歴
モットー
自分でやると決めたことは最後までやる
趣 味
旅(沖縄県離島・竹富島)、ゆずさんや秦基博さんのライブへ行くこと、ソフトボール、野球
1980
両親が働いていたので、生まれてからすぐに保育園へ通うようになりました。両親は仕事の帰りも遅かった為、保育園や学童保育のあとはご近所の方の家でお世話になりました。 小学校2年生の時に弟が生まれ、とても嬉しかったことをよく覚えています。小学校の高学年になってからは、弟の保育園へのお迎えは私が担当に。ドッジボールやサッカー、夏は学童のキャンプなど、弟や友達と活発に遊んでいました。
1993
中学・高校の6年問、ソフトボール部に入り、キャッチャーやショートを守っていました。リハビリの専門学校では野球部に。苦楽をともにした仲間とは、今も交流が続いています。
1996
中学校卒業時に頭部の脱毛症となり、高校生の3年間はずっと帽子をかぶり通学していました。とてもショックで、辛い思いもたくさん経験しました。この経験がきっかけとなり、医療関係に興味を持ち始め、困っている人の助けになりたいという気持ちを強く持つようになりました。
2003
2003年国家試験に合格し、中野共立病院に作業療法士として就職。現場で医療制度のさまざまな矛盾を体験しました。もっと医療を充実させ、誰もが安心して医療を受けられる世の中にしたいと思いを強くして、政治へ足を踏み出しました。
2011
2期6年、これまでにお寄せいただいた生活相談は650件を超えました(2017年3月末現在)。最初の相談は、「原発事故の影響が心配です。中野区内の放射線量を測定して欲しい。」という切実な保護者の声でした。区議団全員で区内の公園等を中心に測定し、その結果をもとに区へ対策を求めました。医療や介護、税金や保険料、マンション建設に伴う近隣環境の問題、道路のデコボコの修復、歩行者用青信号の延長など、相談は多岐に渡ります。お一人お一人の声を大切に、議会へ真っ直ぐ届けてきました。皆さんと一緒に声をあげ、切実な要求が実現した時、問題解決のため少しでもお役に立てた時程、嬉しいことはありません。行政、弁護士や行政書士、医療・介護スタッフなど、各専門家の方々と協力をしながら、問題解決へ引き続き、力を尽くします。
2016
この期間、多くの皆さんのご協力のもと東北被災地支援を継続することができました。2011年は泥出しや救援物資の運搬、以降は、仮設団地内で髪のカットや演劇等の開催などをおこなってきました。2016年末まで10回となりましたが、今後も中野からできることを続けていきます。 また、月に1回、以前の職場である中野共立病院・診療所の有志の皆さんが続けている中野駅北口での「街頭なんでも相談会」。職員時代から関わらせていただき、現在も相談員の1人として参加しています。「ブラック企業」に関する相談など、ここで寄せられた声も議会で取り上げ、区の施策改善につなげてきました。
2022
長期化するコロナ禍、生活相談が急増し、日々、区内を奔走しています。先が見通せない中、生活も精神的にも苦しく追いつめられる方が増えています。住民と行政の間にはまだまだ距離があり、気軽に相談できる場所とはなっていないことも痛感します。制度の周知や行政としての「公(おおやけ)の役割」を発揮する観点から、議会でも様々な提案を重ねてきました。2022年3月、中野区が「生活保護の申請は国民の権利です」と示したポスターを作成し、区内300カ所へ貼りだされました。生活保護以外にも様々な制度があります。どうか、ためわらずにまずは相談をして下さい。私も一緒に力をあわせます。
2023
4月の区議会議員選挙で4期目の区議会へと送っていただき、新たに会派代表となりました。一人ひとりが、その方らしく生きることを応援するのは政治の役割です。
そのために、引き続き、力を尽くします。そして、あなたの困ったに"とことん"力あわせます。どうか、お気軽にご相談ください。地域の身近な要望や願いも、ぜひ、お寄せください。